Waterfront6周年

今日でWaterfrontは6周年を迎えました。これでいよいよ7年目に突入します。

サイト開設からの流れを振り返る


インターネットを積極的に始めたのが1999年末から2000年始めにかけて。それから高校進学を迎えて、サイト開設という大きな野望を抱く。そんな中、5月にIBMのホームページビルダーに出会い、サイト開設への道が一気に見えてきてその勢いは止まらない。1ヶ月も経たずしてBIGLOBEのスペースに「NextDビル」を2000年5月26日にオープンさせる。折しも当時はCCSバブル*1のまっただ中でサイトの構成もそれを中心に据えられたが、あくまでやりたいことをなんでもやるという空気があり、任天堂に関してももの申したりしていた。2000年夏にはPCの買い換え(NECからSOTECへ)を機にプロパイダをBIGLOBEから@niftyに変更するが、内容はそのまま。
2000年10月頃にid:tackmanがゲーム系サイトを開設して、自分の中で一挙に任天堂系サイト開設の気運が高まる。時を同じくしてCCSバブルも完全に崩壊し、脳内で新たな任天堂系サイト開設の構成を練り始めた。こうして11月3日の休みを使って突貫工事は進み、「大安の日だから」という理由で設定された2000年11月9日に「任天堂帝國」が開設される。コンセプトを全面に押し出したサイト名を使い、従来よりさらに激しい拡大路線に打って出て任天堂系サイト界隈でその名前を知らしめた。新たな企画として「ニンドリ広報部」を立ち上げた*2のもこの任天堂帝國時代だった。さらに余談だが、2001年6月頃に雑誌「インターネットFAN」になぜか任天堂系サイトとして小さく紹介されたことがある。この間もNextDビルは縮小しつつも存在し、二次元部門に特化して粛々とその役割を果たしていた。
内部推薦で大学進学を夏には決め、悠々自適の日々を過ごしていた2002年後半、そろそろ全面的にコンセプトを入れ替えたい*3ということで新たな構想が出来始めつつあった。こうして、任天堂帝國の開設日と同じ2002年11月9日に「Waterfront」が開設される。「本気を出した」という本人の弁の通り、サイトデザインがころころと変わった今までと違ってWaterfrontのデザインは@niftyのスペースにあった間全く変わらなかった。任天堂帝國はこの日を境に閉鎖したが、その知名度を活かしてその後もトップページだけはネット上に存在し続けた。
任天堂という名を看板を降ろして出発したWaterfrontだったが、2002年12月22日には任天堂系サイト検索「Ningle」をリリースする。「需要は確実にある。間違いない。」という見方をしていたが、最終的に登録サイト数は1000を越えて本人も驚く結果となった。いつぞやのエイプリルフールネタで「NingleがWaterfrontを併合する」というのがあったが、誰もがそれを信じるぐらいの勢いがあった。
2003年始め?ぐらいにNextDビルのリニューアルが行われ、LYCOSのスペースに「Fragile Wing」が開設される。ここでは別のハンドルを使って活動を行ったが、特に何も成果は出せずにフェードアウトしていった。
2005年の3月22日にはmixiのアカウントを持つ。日記を書き始めた当初はWaterfrontとの差別化に苦労した。一番初めはそのままコピペしていたことも。とはいえなんだかんだで超個人的なことを書き始めて2005年と2006年は完全にmixiが主戦場となった。
2006年7月24日にかねてから気になっていたブログをはてな上で始める。サイトのブログ化に関してはいろいろな懸念があったが、この7月からの試験使用でその懸念は徐々に払拭されていった。ちなみにこのときのサイト名は「Waterfront2」。こうして、2006年11月9日にはてな上で新しい「Waterfront」が始まった。実はこれを機会に立ち位置としてはNextDビルに戻っている。長いつきあいの人は気づいてると思うけども。

いろいろなこと蟻杉

これを書いてるだけでいろんなこと思い出した。始まりの2000年5月26日、これだけのことがそこから始まるとは想像だにできなかったな。

*1:2000年始め〜2000年10月頃までに起こった現象。

*2:確か2001年3月か?その後、ニンドリに紹介されたりもした。

*3:一部では本人自身に「さすがに皇帝というのは無理がある。むしろ痛い」という考えがあったという噂がある。